広告への情熱
思い出と成長の軌跡
中学生時代…
僕の四畳半の部屋は、“薬師丸ひろ子”がヘッドホンをしている顔ドアップ特大ポスター(B0サイズ)3枚に囲まれていました。多分『テクニクス』の広告ポスターだったと思います。
高校時代…
『From A』のゴリラがビルによじ登ってるパロディポスターを貼っており大学時代はコカコーラのロゴ入り50cm角ステッカーを貼った軽自動車に乗っていました。コーラのイメージが「さわやかテイスティ」だったので自分もさわやかになりたいという願望があったのかもしれません。
就職活動時…
佐川急便のTVCMで「今にしか出来ないことがある」というキャッチフレーズが心に響き、仕事をするなら大好きな広告に携わる仕事をしたいと、職種にこだわりを持っていたのを覚えています。(確か、当時の希望はコピーライターでした)
神奈川県最大手の広告代理店へ就職
大学卒業後、横浜の総合広告代理店・旭広告社に入社することになります。神奈川県では最大手の広告代理店で横浜博覧会などのイベントや横浜市の広報・市営地下鉄・バスの交通広告等、非常に華やかですごく楽しそうな仕事内容に魅力を感じていました。
いよいよ入社式の日、僕の配属先が決まりました。「第一営業部一課」、そこは電柱広告を中心に販売する部署です。ちなみに、電柱広告とは電柱に巻きついている看板です。思い描いていたイベントコンパニオンと楽しく仕事している広告代理店のイメージとはかけ離れた世界が僕を待ち受けていたのです。しかし、1年も経てば電柱広告は誘導案内には有効な広告手段だということがわかり、路地裏のレストランや質屋、クリニックやマンションモデルルーム…etc、様々な業種のお客様とお仕事させていただく機会に恵まれました。
看板設置交渉の喜び
営業の場数を重ねて行くと、お客様の要望が手に取るように見えてくると同時に、的確な提案も出来るようになって行きます。例えばクリニックの場合。開院するにあたり製作・設置する野だて看板・駅看板・電柱広告・折込チラシ等は、集客と誘導案内を目的とした、決め手のツールとなります。また、診察券・問診表・リーフレットは院内で患者さんとのコミュニケーションツールとしての活用が見込めます。更には、クリニックのロゴマークもたくさん作らせていただきました。そしてすべてのリクエストに応え、院長から「ありがとう」の言葉を貰って、はじめてフィニッシュを迎えることが出来るのです。
またマンションのモデルルームの場合は、駅から徒歩で来るお客様と車で来場されるお客様のために、目立つ箇所と曲がる手前の場所に誘導案内看板やビル壁面シートの設置交渉を求められます。地道な活動ですが地主様やビルオーナー様を探し当て、1件1軒看板設置の交渉をして行きます。お客様が希望されているところに看板を設置出来た時には大変喜ばれ、僕自身も大変嬉しく感じたのを昨日の出来事のように覚えています。
お客様によって、リクエストは十人十色です。たとえ、困難と思えるようなリクエストを頂戴したとしても業務を遂行し、最終的に「ありがとう」の言葉を耳にするたびにすべての苦労は消え失せ、喜びだけが宝物のように現在も残っています。